「突破力」を考える・その2  雀鬼、あるいは魔ゼルな規犬

突破力という言葉は、一見わかりやすいようでいて、実はあまり掴みどころがない。
それは今回、実際に誌面を作っている過程で非常に強く実感したことである。



ひとことで言うと、最近は、なんだか生きづらい。
なぜ私たちは、こんなにもモヤモヤとしているのだろう。



そんなことを漠然と思いながら放課後のメンバー同士で戯れているとき、
偶然「あやまんJAPAN」を見て爆笑したのが今回のきっかけだった。



やばい、こいつらはアホだ、アホすぎる。
何故か知らないけど、笑いが止まらない。
……この感覚に浸っているうち、漠然と悩んでいるのがアホらしくなった。



この一種の共感覚を、開かれた言葉に変換し、誌面のコンセプトという形に落としこもうとしたとき、
まるで初夏にボウフラが湧くかのように「突破力」という言葉が生じた。
発端はそんなものである。



さて、ここでは誌面に載り切らなかった形で「突破力」を考える、
というコンセプトのもと、私がある意味で大いに参考にした桜井章一の『突破力』という本の話をしよう。

突破力 (講談社+α文庫)

突破力 (講談社+α文庫)


桜井章一の説く『突破力』

はじめに著者の経歴を少し説明する。
彼は「雀鬼」の異名を取り、代打ち*1として20年間無敗の伝説を打ち立てた雀士である。
あくまで自称であり、また経歴の特性上、現場を証明する人間が現れにくいことから疑問視する人もいるが、少なくとも阿佐田哲也*2からは絶賛されている。



その経歴を体現するかのように、彼の風貌は「いかにも勝負師」という、
どこからどう見てもカタギではないオーラに満ちている。



そんな人が書く『突破力』とくると、いかにも極限状態の駆け引きや命をすり減らしながらの判断などを想像しがちであるが、
実際に読んでみれば極めて平易な言葉で書かれているので、少し面食らう人もいるかもしれない。
しかし、ここでは徹底して「生きること」が問われており、極めて本質的な突破力が描かれている。



著者はまえがきで次のように述べている。



「人は生きていれば、さまざまな壁にぶつかる。仕事やふだんの生活、人間関係や健康、勉強やスポーツ、いたるところに壁はひそんでおり、前に歩んでいれば必ずそうした壁が目の前に現れるものだ。
 壁といっても、いざぶつかってみると案外楽に乗り越えられるものもあれば、お手上げとしか言いようのないきわめてきびしいものまで、その難易度は実にいろいろだ。いずれにしろ、そこで大事なことは、壁を目の前にしたときに「折れない心」を見失わないことである。
 本書は、そんな「折れない心」を育んだり、持つにはどうしたらいいかというテーマをひとつの柱にしている。」


そして著者は、「壁は必ずしも乗り越える必要はない。とりあえず乗っかってみれば良い。壁の上に乗ってみて、一息ついたり遊んだりできるような余裕があれば、もう乗り越えたも同然だ。また時には乗り越える必要のない壁もある。壁にぶつかるまでのプロセスに違和感があったのなら、そんな壁は無視して退却しても構わない。そうした処し方も含めて<突破力>というものがある」とその後に続け、本文が始まる。



本書は「道を拓く・壁を破る・運命を必然にする」の三章からなる構成だ。
とは言っても、いかにも勝負師らしくぎらぎらした文ではなく、
「世の中の常識が、どれだけ大切なものか自分に問うてみる」、「幸福は求めるべきものではない」
などの見出しに見られるように肩の力を抜いた書き方になっていて、しかも常にどこか共感してしまうという魅力がある。
筆者の説く「折れない心」とは、かくも柔軟なものなのか、と思わず唸ってしまった。



こうした突破力のあり方と、今回「放課後」で扱った突破力との間に直接的な接点はなく、
おそらく筆者以外にこの本を読んでいるメンバーはいない。



だが、それぞれが突破力について手探りで考えながら誌面を作っていくにつれ、
結果的に共通した部分がいくつか見えてきた。


魔ゼルな規犬という人物


(敬称略)


今回最もそれが端的に現れているのが、魔ゼルな規犬インタビューである。
その名を初めて聞く読者も多いだろう。もしそうならとりあえずこの動画を見て欲しい。




もう見るからにタダモノではない。説明の必要がないくらいに、彼は何かを突破しているように見える。
意外にも、実際に話してみると非常に温和で気さくな方で、本文15000字・14ページに渡るロングインタビューの中で、実に色んな話をしてくださった。



本当に不思議な人である、というのが率直な印象だ。
警察沙汰スレスレの過激な路上パフォーマンスや、緊縛に自由参加できるライブを行っている一方で、
「でもあんなのは駄目ですよ、怒られますよ(笑)」と苦笑交じりに自戒して見せたり、妻子への愛情をしみじみと語ったりする。
かと思ったらときには「なるべく皆、金正日とかを目指したらいいんじゃないですかね」などの珍言が飛び出したりと、非常に振れ幅の大きいインタビューになった。
筆者が文字起こし中に吹き出した箇所も少なくない。



話を戻そう。
桜井章一の『突破力』で語られている

「壁は必ずしも乗り越える必要はない。ときには乗っかってみるだけでも、退却しても良い」

という考え方と、魔ゼルな規犬の生き方は、結果的に通じるところが非常に大きい。
ここでは「実際にこの部分とあの部分が……」という種の指摘はしない。それは決して安易な出し惜しみではない。
なぜなら筆者がここで説明するよりも、実際にインタビューの本文を読んでいただいて、「こういうことか」と感じ取ってもらえれば最も幸いである、と考えているからに他ならない。
笑ったり共感したり、反応は人それぞれかと思うが、必ず「何らかの感覚」を残すようなリーダブルさがあると確信している。



……思った以上にカタい紹介文になってしまいましたが、当日はぜひ気軽にブースへ足を運んで下さると嬉しいです。
というわけで、今回の放課後、皆様なにとぞよろしくお願いいたします!

この表紙が目印です。

*1:代打ち:ある人間の代わりに麻雀やパチンコなどのギャンブルを行うこと。ざっくり言えばヤ○ザの世界

*2:阿佐田哲也:本名・色川武大。『麻雀放浪記』の著者として有名な雀士で、戦後の第二次麻雀ブームの中心人物